散歩、ウォーキングは自分に投資する時間。それは、まさに歩く瞑想だ。

散歩

自分への投資

私は散歩とは自分への投資と同じものと考える。「自分投資」だ。

自らの体をいたわることとも言い換えることがきでるかもしれない。

私たちは一日の中で、純粋に自分の心と体に投資する時間があるだろうか。単なるお酒やスイーツなどのご褒美ではない。

自らの心と体を愛する「自愛」とでもいいえる。

自己投資といえば、資格の勉強、スキルを身に着ける、読書をする、習い事をするなどがあるだろう。

それは自分の昇進や転職、将来のためという自分の今の状況を、さらに飛躍させ、生活をよくするためと考えられる。

さて散歩にかぎっては特別なスキルや資格は必要であろうか。もちろん歩き方や、歩くシューズなどには気を使うことはあるだろう。

しかし、散歩をするうえで資格やスキルはない。だれでもできる。平等にだれでも参加できる身近な自己投資だ。

必要なのは、やってみようという

好奇心か硬い

意思

だけだ。

この散歩に参加して、すぐに結果はでないかもしれない。さらにこれは非常に単純であり、また静かな遊戯でもある。人それぞれに効果があり、その効果は即効性はないかもしれない。

しかし、かならず何かしらの結果はあると私は考える。それは散歩に投資し経験した人、その本人がよくわかっていると思う。

散歩やウォーキングはだれのためにするのではない。結局は

自分のため

己のためである。

もしかしたら、はたから見ると、無駄な時間をとっていると思われるかもしれない。

しかし、確実に投資の見返りはある。

散歩のメリット

ではこの散歩で得られるメリットはあるだろうか。

これを述べるとあまりにも膨大であるから、とりあえず二つに絞ることにする。

(メリットに関してはこのブログで随時配信しているので参考に!)

その一つは

体を健康に保つこと。

これは、きっと散歩をするきっかけになったことの多くがこの「体の健康」ではないかと思う。

つまり、この散歩の時間にわざわざ投資するのは、やはり「健康」のためだと思う。

私も幼少時になるべく風を引かないようにというのが最初の動機だった。小さい頃は風邪をひきやすかったからだ。

激しい運動ではないかもしれないが、歩くこともやはり運動の一種だ。よってしっかり意識的に運動だという自覚で歩くことだ。そして真剣に自己投資しているという意識で歩くことをすすめる。

そうすると単純な行為ではなくなり、自己投資しているという感覚はきっと得られるだろう。

二本の足で、この地を踏み分けていく。最近特に素足であることがはやっているが、これも足がしっかり地面について歩いているという感覚を感じるためでもある。

人間の直立歩行の営みを感じるのだ。私たちは歩けることの感謝と偉大さを忘れて生きているかもしれない。

次のメリットは、精神性への投資であろう。心を落ち好かせたい。ストレスから解放されたい。悩みを解決したい。

散歩は一種の瞑想だ。「歩くこと」は「禅」であるという話しもある。(川野泰周『歩けば調う』)

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脳科学的にいえば、歩くとセロトニンが分泌され脳を活性化させるというものだ。

歩くことはマインドフルネスと同じ効果を期待できる。座っているより、もしかしたら歩くほうが精神の安定につながるかもしれない。(私はそうだが)

歩くことが「瞑想」であり、「マインドフルネス」の時間となるのならば、その効果を期待することを、散歩に求めたい。

つまり、歩行禅を行う。これが歩くことの投資へメリットである。

一日お遍路

歩く禅、歩行禅

これは今まで禅僧だけでなく、高僧がお遍路という形で実践してきたものだ。

高僧はよく歩いた。歩くことである境地に達することができる。と信じられて生きたのだろう。

たしかに聖人偉人哲学者はよくあるいた。そこから、多くのひらめき、啓示、インスピレーションを受けていた。

一日、朝起きたら、一日の歩く禅、一日お遍路に出てみてはどうか。

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