「逍遥」という言葉がある。「逍」とは小股で、そろそろと歩く。「遥」とははるか、ながいという意味だ。つまり、
「逍遥」とは、気の向くままにあちこち歩きまわることだ。
「逍遥」というと、日本では「小説神髄」の坪内逍遥が思い出される。本名は坪内勇蔵である。
彼は理想の境地を名前に記したのだろうか。
これはもともと荘子が表現した「逍遥遊」から来ている。
「逍遥遊」は無窮な宇宙の中心で心が遊ぶことであるという。これは精神的自由の神秘的な体験であった。
同時に道と天地万物と一緒になる神秘的な体験という意味がある。これが荘子の理想の世界でもあった。
人間と大自然との調和の理想を語っているといえよう。
「逍遥」すること、つまり気の向くまま歩き回ることは、大自然と一体となれる神秘的な体験なのである。
そしてそれが、俳人芭蕉に伝えられ、「奥の細道」という紀行文が誕生していった。
「逍遥」とは単なる歩行ではない。
ここに人間の究極の理想の境地があったといえるだろう。
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