「歩く」とどうして「ひらめき」が起こるのだろうか。
もちろん最近では脳科学で「歩く」ことで、セロトニンの分泌による、脳の活性化が証明されるようになっている。
また、足の刺激が脳への血流をよくするという観点からも、脳の活性化を助けているという。
私も朝の散歩を長年続けながら、「ひらめく」ということを実感してきた。
「歩く」ことで「ひらめく」という観点をやや語源や神話といった人文学の角度から述べてみたい。
「ひらめく」の語源
さてまず「ひらめく」であるが、「ひら」は紙や旗などが落ちたり、風にゆれるときに使われる。
「ひらひら」舞うや「ひらひら」落ちるとなるだろう。
実は日本神話である『古事記』『日本書紀』にこれを思わせる箇所がある。
それは、新羅の王子である「アメノヒボコ」が招来する「宝物(八種の神宝)」の中に
風振るヒレ(比礼)、浪振るヒレ、風切るヒレ、浪振るヒレ
がある。
この「ヒレ」は御霊振りといって、神霊(みたま)を呼び寄せる呪術的なものだという。
私はこの「ひら」と「ひれ」が風などに舞う「ひらひら」と同じ語源から来ているように思えてならない。この神話の中では領巾(ひれ:比礼)とはなっているが。
古代ではこの「領巾」が神霊つまりインスピレーションを呼び起こす神の宝と考えていたのではないだろうか。
霊性の観点から
少しスピリチュアルではあるが、「日本的な霊性」という観点から考えると、
「ひら」はインスピレーションを呼び起こす意味として大和言葉に定着していったと考える。
巫女がこの「領巾」を用いることは、御霊(神霊:みたま)を呼び起こす、依り代であり、そこから「ひれ」が「ひら」となり、擬態語としての「ひらひら」が生まれたと考えてはどうか。
さて、では「歩く」とどう関係があるのか。
これはもう少し、考察を待たなければならないが、
「ひらめく」は「ひろめく」ともいい、
この「ひろめく」とは
人が家の中に入ってくるとき、通過する瞬間的な様子をも表すともいう。または、古語の意味として人が落ち着かず動き回る様子を意味している。
これが瞬間的な鋭い光の輝きとして「閃」という感じが充てられた。閃光とも使われる。
「歩く」こともまさに、この瞬間的に人が通り過ぎる動く様子ではないだろうか。
他人から見ると、人が瞬時に通り過ぎる。これが人間の「歩行」なのである。
そのように総合すると、「ひらめく」には
1.御霊を呼び起こす
2.瞬時に通り過ぎる
という二つの要素を含んでいる言葉であることがわかる。
「歩く」ことの神秘性
「歩く」という行為と「ひらめく」の関係性。
いろいろな観点で明らかにされるところではあるが、今回は語源や古典から考えてみた。
こういったアプローチも面白いと思う。
やや科学的ではないと思われるかもしれないが、長い歴史の日本人の知恵を考えると、無視できない言葉の「言霊の力」を感じざるを得ない。
よって、「歩く」という歩行に関してはもしかしたら、
そこれによって、「ひらめく」というものとリンクしてきた、日本人の霊性の歴史があったのかもしれない。
「歩く」という行為は不思議な行為でもある。
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