頭を柔軟にするには、人はリラックスすることが必要だ。
心が穏やかなときこそ柔軟な発想は生まれてくる。
緊張したり、心がふさぎ込んでいるときは、アイデアは出てこない。
「歩く」ことの効果の一つにリラックス効果があると思う。
リラックスというと、観光地の温泉につかってのんびりする、家のソファでくつろぐ、何もしないでぼんやりとする、などが思いつくだろうか。これらはどこかじっと静止しているというイメージが強い。
しかし、反対に活動するという観点からすると、激しくなくてもゆったりと動いている活動がある。これが
「歩くこと」
に他ならない。
「歩く」という世界は、悟りを開く修道者といういイメージもあるのではないだろうか。多くの宗教者も歩いた。そして、そんな時間から多くの悟りを開いてきた。
修道者はじっと瞑想する時間と同時に、これと同じ程度に歩く。ではどうして「歩く」のだろうか。
そこには、歩くという行為と宗教的な精神修養とが結びついているからと考えられる。
つまり、「こころ」の世界と結びついているのが、「歩く」という行為なのではないか。
では「歩く」場所はどこでもいいのだろうか。一度いろいろなところを歩いてみてほしい。
都会よりもやはり自然の中がいいことは明らかだと思う。
日本は特にこの「歩く」ことに適している風土がある。それは四季があり、山川草木という大自然に囲まれている。
都会を一歩離れれば自然の恵みを味わうことができる。自然の宝庫が日本だ。
そこがリラックスすることのできる、最適の場所がある。
人は「歩く」ことと同時に、「自然」に触れることで、安心の境地に至ることができる。
Shane O’maraという脳科学者は『in prase of walking』の中で「歩くこと」は活動的な夢想(ぼんやり)だと述べている。
つまり「歩く」ことで活動的なリラックスの効果を生んでくれるというのだ。
私はそこにさらに「自然」の営みの中で歩くことを付け加えたい。
「自然」の中を歩くことで心はリラックスする。
「心」は「自然」に共鳴しているとでもいえる。
それによってか、今まで雑念があったものが、取り払われ、「心」は純粋になり、良心が芽生えてくる。自然を歩くことで、心の浄化作用をもたらす。
そんな「心」の状態から、人は思ってもみなかった「アイデア」が生まれてくる。
「アイデア」が欲しいときは、「歩くこと」に限る。
オフィスにいても、もし仕事に行き詰ったら、外に出てみる。都会であっても、近くに公園などがあれば、そこを一周あるいたり、体操したり、空を見上げてみる。
そうすると、気分もかなり違ってくると思われる。
家の近くに「自然」の環境がない。その場合は、「自然」のある場所に引っ越す。
引っ越しをしてまでも、「自然」のある近所を選ぶべきだと思っている。
それほど、日常生活において、自然の中を歩くことは大切なことなのだ。
私の現在住んでいる場所も、歩いて10分ほどのところに、自然に恵まれた公園と山がある。
毎日の散歩のコースになっている。これほど恵まれた地域は珍しいと思っている。
「緑(みどり)」に接することで、心も安定し幸福度もましてくる。
一日30分は歩ける。そして、「自然」に触れる。家にかえってきて、ひらめいたことをメモする。
きっとそんなサイクルが、仕事や勉強の成果を生むよいきっかけになると信じる。
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