木を見ると、過去のことを思い出すことがある。不思議なものだ。木々はその時々の思いでを想起させてくれるからだ。メタセコイアもその一つだ。
1.メタセコイアとは
メタセコイア。特徴は空に向かってまっすぐと立っている。葉っぱは細長く、やや松の葉に似ているところがある。落葉針葉樹として分類されている。
秋紅葉の時期には淡い橙色やレンガ色、赤茶色に染まる。非常に貫禄がある木だ。
実はメタセコイアは100万年前にすでに絶滅していたとされていた。しかし、
1941年に、植物学だった三木茂教授が日本で発掘された化石を分析した結果、落葉性の新種と考え「メタセコイア」と命名するのである。そして、その5年後の1946年に中国で生存していることが確認された。
四川省で中国の研究者が、新種の針葉樹を調査した結果、これが三木博士が発見したメタセコイアだと確認することとなる。
日本にはもともとないものと推定されていた。日本で化石が発見されたことで、日本にも存在していたことが確認されるのである。
よって、このメタセコイアを生きた化石ということでも知られているようになった。
高さは10から20メートに及ぶ。
1948年にチェイニー(Ralph W. Chaney)という米国の植物学者が中国から苗木を持ち帰り、メタセコイアを播種育成し、その種子を昭和天皇に送っている。
この苗木が日本で最初に植えられたメタセコイアであり、それが徐々に日本全国に広がり、日本でも各地でみられるようになったのだそうだ。
有名なメタセコイアの並木としては、滋賀の湖北の高島氏マキノ町の並木で500本のメタセコイアを見ることができる観光スポットである。
樹木を調べると、こんな歴史までわかるようになるから面白い。自然観察の魅力は多方面にある気がする。
2.大学のキャンパス
私は今大学で勤務している。数年前に勤めていたところも大学だ。
その大学のキャンパスには、メタセコイアが聳え立つように立っていた。
キャンパスの道の両側にきれいに立ち並んでいる。非常に壮大で、力強い印象をもったことを覚えている。大学の総長が非常に気にっていた木でもあった。
昼になると、コーヒーを片手にあるく教職員、ベンチで話す学生の姿が今も思い出される。
当時は学内の国際交流の仕事をしていたこともあって、外国からの大学の総長や教員、学生にそのキャンパスを歩いて学校を通訳したり案内したものだった。
そのことが、この樹木と一緒になって思い出として残っている。
キャンパスにメタセコイアがなかったら、そこまで思い出として残っていただろうかと思うほどだ。
木々は過去の思い出までも想起しれくれる、不思議な存在だと改めておもい返すのである。
3.木と追憶
我々は小学校、中学校、高校と、学校の思い出をもっている。
校庭には常に「木々」が植えられていた。桜の木はその代表といっていいだろう。
私の小学校の母校も周囲は木々であふれていたことを覚えている。
また、母校の大学もグラウンドの周りには桜があり、花見の季節は人が花見でごった返す。
たしか授業の合間に桜の木の下で寝そべっていたことを記憶している。
木々はそれとなく、人の目や脳裏に焼き付く。どうしてなのだろうか。
メタセコイアの花言葉は「平和」と「楽しい思い出」があるそうだ。
花言葉と関係があるかもしれないが、やはり木にはそれ相応なりの印象があり、名付けられているかもしれない。
「平和」そして「楽しい思い出」
その当時のことは、わたしにとって貴重な「平和に流れる時間」であり
そして
「楽しい思い出」でもあった。
韓国での日々。韓国人と一緒に仕事をした日々。
そんなことを、この木を見るたびに思い出すのだろう。
木々は不思議なものだとつくづく思う。
*ちなみに韓国の潭陽(タミャン)というところもメタセコイア並木道で観光スポットです。
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