風呂屋でのひと時。最高の何もしない時間。週に一回から二回を風呂屋に行く。

ぼんやり
風呂屋でゆったり

私は風呂屋に行く。何か体の調子が悪かったり、心がもやもやすると、風呂屋に行くことにしている。風呂屋は私の人生になくてはならなくなった。

風呂屋には休憩所があったり、サウナがあったりと、色々な場所でくつろげる。しかも値段も安い。

何よりも何もしないで、ぼんやりすることができる。知り合いに会うこともめったにない。一人の時間を楽しめる。

そして、好きな時間に行ける。昼でも、朝でも、夜でも、都合のいい時を見計らって、入浴が可能だ。

風呂屋での一人時間

一人の時間を設けるのもけっこうしんどい。どこにいっても人だらけ。

風呂屋はどうか。人はいる。でも、人がごった返すことはない。不思議なものだ。

ちょうどいい人数で、お湯につかったり、体を流したりしている。

皆一様にそして黙々と、自分のことに専念する。シャワーで体を流し、髪を洗い、体をこする。単純だからいいのかもしれない。

一人になれる場所。風呂屋にはそんな場所として我々を癒してくれる。身近にこんなところがあったとは。

風呂屋での何もしない時間

何かをしているのであるが、何もしない時間がそこにある。その最たる例は、

風呂場につかること。湯加減はやや熱いのがいいが、人それぞれの好みがありそうだ。お湯の中に身を寄せるだけだ。

ぼーとしている。または、目をつぶっている。何も考えなくていい。考えてもいいが、その時だけは、ストレスがない。不思議なものだ。

風呂屋そしてサウナ

風呂での時間が一定過ぎれば、今度はサウナだ。サウナも何もしない時間だ。

体に暑さを感じる。汗がにじみ出てくる。どうして、人はサウナなどに入るのだろうか。

健康のため。いや、それと同時、一人になれるからではないか。そして、ただ座るだけの行為。これだけでいい。

難しいストレッチや運動などする必要ななかった。だた座る、座禅よりも単純でやさしい。

テレビをぼんやり見る

風呂屋にはかならずテレビが置いてある。サウナの中や、休憩室などにである。

普段あまりテレビを見ない私は、ここではなぜかぼんやりと、テレビをみてしまう。

ここでのひと時は、何も考えていないが、唯一情報収集の場所ともなる。

ニュースがそれである。しかし、ニュースだけでない。野球の中継やサッカーの試合もたまに放送している。途中経過でも意外とおもしろい。いやリラックスしている精神状態だからか、楽しめる。

仕事や生活のことを考えずに、ただ座っているだけだからだろう。

風呂屋には週1~2回行く。近くにあるから、通いやすい。歩いても行ける距離だ。

風呂屋があることに感謝する日々。

風呂屋で何もせず、ぼんやりする。

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