「何もせず」ぼんやりとする時間。常勤の教授から非常勤講師となり、与えられた時間。非正規雇用を生きる。本当の自分を探す旅にでる。

ぼんやり

私は依然大学の常勤つまり年俸でもらって生活をしている大学の教師だった。

同じ大学で10年ものキャリアをもって、与えられた仕事を熱心にこなしていた。周りからもある程度の評価があった。

しかし、色々な理由があり、一度退職をした。

それは、親元に帰り、親のそばで生きていくことを選択したことと、仕事へのマンネリや、住まいの環境も変えたい。

そんな思いで一度仕事にけりをつけようと思ったことが理由だった。

非常勤講師になる

親元のそばでうまくいったかというと、そうでもなかった。今まで教育の現場で働いていた私にとっては、環境の変化はかなりきつかった。もちろん、親の面倒をみたり、親の老後のことを気に掛けることの大切さはよくよくわかっていた。

しかし、手がしびれたり、肩や首が凝ったり、さらには、帯状疱疹になったりと、病院通いがたて続いた。精神的にもまいっていた。さらに、妻と子供も韓国においてきたままだった。

子供の入国や妻のビザ取得もすぐには解決することができなかった。

「このままでは、まずい。」いやな予感がしてきた。自分の体のこと、家族のこと、子供の将来のこと。これらが、一気にに崩壊してしまうのではないかという、不安に襲われた。

決断をした。もう一度、韓国に戻る。3カ月がたち、また、再度韓国に戻り、家族三人で暮らすこととなった。私の部屋は出ていった当時、そのままの姿であった。何一つ変わることはなかった。

妻は私が再度帰ってくるだろうと予測したのか、私の部屋に手をつけなかった。

以前の職場はすでに埋まっていた。私はそれでも再就職できるように願っていた。ただ何とか学校側は私のことをはからってくれて、非常勤の授業を与えてくれた。

三コマの週一回の授業だけである。

私は非常勤の講師という立場で、再度韓国の生活が始まった。

一週間の日々

非常勤講師の週の日程は金曜日だけの授業。金曜日だけに集中していた。大学に行くのはその日だけ。あとは何をしても自由。

大学の事務から連絡があるのは、メールでたまにだけだった。いつもなら、週に一回は何かしらの業務が入っていた。それすらなくなった。

週末が終わって月曜日。それでも時はゆっくり流れていた。妻も何も言わなかなった。朝起きて散歩して、朝食をとり、昼間はユーチューブを見たり、読書する日々。

何かしなければと思い、オンライン授業の募集要項を作ってみたり、ブログを書いたり、ユーチューブを撮ったりした。

夏が終わり、秋を迎えた。残暑がまだ残る日々。私は体を壊した。右肩から手にかけて、凝りやしびれが生じていた。長起きるとその不快さはたまらなかった。

病院に通い、処方を受け、薬をもらった。それでも治らず、再度病院へ行き、肩や腕に注射を受けた。

健康への不安に襲われることとなった。

家の中でぼやり

家に帰ると、一人何もせず、自分の体と向き合っていた。

体を酷使していたのか。

そんな思いが湧いてきた。そうだ。今は休むのだ。

家の中で「ただ、ぼんやり」としていた。それで満足だった。

いや、今の私に必要なのは、「休息」であった。

退職金が切れるまでは、「休むこと」。それが、私の仕事だ。

今まで、何か目標を決めて、それに向かって突っ走ることをしてきた。しかし、やることが多すぎた。これもして、同時にあれもこなし、さらに将来のために準備をし、趣味やスポーツもこなしていた。

そうこうしているうちに体も徐々に回復していた。

何もしないことの時間

気づいたことが、一つあった。

何もしないこと。

これを習慣化してみる。今は練習してみよう。

スマホから離れる。だれかと会わない。タスクを作らない。副業を増やさない。

ゆったり、心を今この瞬間に落ち着かせて、休める。

その練習だ。

練習。毎日。ことあるごとに、意識をそこに向ける。自分に向ける。

食べ過ぎない。腹八分目。仕事をしすぎない。明日に回せばいい。

欲を張らない。

夜と朝は瞑想する。

生きていることの感謝。

ぼんやりするだけでいい。

何もせずに、座っているだけだ。

非常勤講師から、何かが見つかる。非正規雇用でも何とかなる。生きる。

今ここに、自分を見つける旅にでる。

私はこの「ブログ」で、何もしないことを、練習し、そして読者と共有したい。

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